2015/01/10

A Long Way to IM


暮らしなれたブダペストを離れ、昨日、ロンドンに到着しました。ケチケメートではさほどでもありませんでしたが、ブダペストを離れる際は、感慨深いものがありました。2010年の3月に、初めてFirst Saturday に参加するためにブダペストを訪れてから、5年近くの月日が流れています。4回目となる今回の単独遠征で、ようやく目標だったIM を獲得して、ハンガリーでの生活を終えることができます。

FM のタイトルを獲得した2009年、レイティングは順当に2330台まで伸び、このまま順当にいけば、IM ノームの獲得や2400 到達というのは、さはど難しくないのではないかと、20歳の私は考えていました。ところがどっこい、2010年から2011年にかけては、FIDE 公式戦であまり勝つことができず、レイティングを連続で落として2200台に戻ってしまいました。当時はそれが一時的な不調によるものだと思っていましたが、そうしてレイティングをふらふらさせることも含め、まだ経験の浅いFM の腕前だったのだと、今では理解できます。当時はIM, GM との対戦経験も少なく、そうしたマスターたちがどういったものなのか、まだ分かっていなかったでしょう。


2012年最初のFirst Saturday にて

本気でIM へのチャレンジを始めるため、2264 というレイティングで、ブダペストへの長期遠征に踏み切ったのは、2012年5月のことです。周りにはレイティングを140上げ、IM ノームを3つ取るためにブダペストに来たのだと、自分で言葉にして伝えておきながら、それは果てしなく遠い目標のように思えました。それでも、2年半で250試合以上を戦い、それを現実のものにできたのは、私を支えてくれた日本のチェスファン、家族、友人、そしてミーシャのおかげだと思っています。皆さん、本当にありがとうございます。

FIDE 公式戦を多くこなしただけでなく、アンダンテのお客さんや、ブダペストの日本人学校の子供たちにチェスを教えたこと、セーチェニ温泉や西駅でチェスを指したこと、ポルガーのチェスフェスティバルに友人たちと参加したことなども、とても良い思い出です。さらにブダペストやケチケメート、その他の遠征地では、チェスに関係ない多くの人たちとも出会い、そして別れました。そうした経験がこの数年、私を大きく成長させてきたと思っています。ハンガリーを遠征地に選び、思い切って日本を飛び出したこと、本当に良かったと今では思えます。


去り際には、空港のMemories of Hungary というお土産コーナーに、チェス(チェスと言うより、ポルガー関連グッズ?) が並んでいるのも発見しました。こうした光景も、チェスの盛んなハンガリーならではのことでしょう。多くのチェスプレーヤーに愛され、彼らを迎えてきたハンガリーを去ることは寂しいですが、またGM を真剣に目指す段階になった際、戻ってくることになるでしょう。それまでは日本でできることをこなしつつ、IM というタイトルの重さを噛みしめようと思います。

最後に、今回の記事が私のブログ開設から、ちょうど1000回目の更新となります。4年近くに渡って見守って下さった読者の皆さんに、あらためてお礼を申し上げたいと思います。今後とも、よろしくお願い致します。

0 件のコメント:

コメントを投稿

Copyright © 2011 Shinya Kojima All rights reserved.